日本めぐり回顧18(08.10.8) 6月12日分 18日目 金鶏山 千手堂→中尊寺→水沢→花巻→石鳥谷→矢巾町南昌山自然公園町営キャンプ場泊
寒くて目が覚めた。4人用バンガローのベッドで就寝だが、急激に温度が下がった。3時だ。小用で外に出たら、すばらしい、満天の星だ。天の川もはっきり見える。感動!
金鶏山キャンプ場は千手堂が管理・経営している。金鶏山は藤原秀衡が平泉鎮護のために黄金で雌雄の鶏を造り、それを漆詰めにして富士をかたどった山に埋めたことに由来する、とか。千手堂の堂守さんはすでに物故、大黒さん(おくさん)にお願いして、千手堂を拝観させていただいた。 もったいないことでした。
千手堂の中には、千手観音、弁財天、愛染明王のほか、藤原秀衡の木像、藤原三衡公の位牌がある。特別のはからいでの参観でもあるので、般若心経を納経させていただいた。千手堂の他にも、金鶏山一帯には源義経妻子の墓もある。中尊寺と毛越寺の見学は多いのに、こちらは少ないのがふしぎ。見るべきものを見ていないのだ。『おくのほそ道』に「秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す」と書かれ、『曽良日記』には「金鶏山見ル」とある。それに、三代の棺は光堂にあり、その位牌は金鶏山千手堂にあるのだが……
金堂前。半ズボン・半袖では日焼けがヒドイので、長袖シャツにスエットズボン(自転車チェーンがからまらないように)、首タオル(日焼け予防)。おのれの姿をここいらあたりで披露するのも、一興か……?
金色堂は雨にけむっていてほしかった、それらしい風情のためにも。「さみだれの ふりのこしてや ひかりどう」だもの。
山の名前を知ることが出来なかったが、6月中旬なのに雪が山肌に残っている。明け方の寒さは、この残雪の山を見ることによって納得した。間もなく夏を迎えるとはいえ、これからの北上ルートは、夜半に冷え込むことを十分わきまえておかなければならないだろう、な。なによりも風邪をひいたら、走行が即不可能な状態になることはあきらか。
花巻のさき、石鳥谷は南部杜氏で有名なところ。歴史民族資料館、南部杜氏伝承館が道の駅「石鳥谷」に併設されていた。酒飲みは寄ってみたいスポットだろうが、下戸なのでパス。
今夜の宿泊予定地は志和石鳥谷線(県道198号線)経由で盛岡和賀線(県道13号線)の穀倉地帯をノンビリ走って、岩手県矢巾町南昌山自然公園内町営キャンプ場。
今日の走行距離 84.11km 平均時速 13.8km 最高時速 Max 38.1km
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コメント
平均速度は都会の車より速い!
毛越寺や中尊寺は規模が大きいためお土産が売りやすい。観光と歴史散策の違いがそんな所に出るのでは?
毛越寺の庭園は基礎しかありません。礎石の大きさはさすがに大きい! 極楽浄土を表わした庭園の面影は全体の風景にあるように思いますが、往時だってお金取って見せてたわけじゃないんで、お金払わんでも十分感じ取れますし、すべて灰と化した所ですから何もなくてあたりまえ。個人的に見るべきモノは全体像から往時をしのぶくらい?
金色堂はセメントで覆われる前はそのアプローチも含めて、ひなびたイイ感じでしたが、しょうがないかな……。
奥州の金がホントかウソか地元の人達は詳しく知らない。当時から金鉱は内緒にしていたようです。
藤原三代は金と馬とアイヌから手に入れる毛皮が財政を支えていました。お米は明治以降の冷害に耐えられる品種の改良があってのこと。鹿や野ウサギを食べていた記録がありますから、農家は貧困にあえいでいたみたい。カミサン(平泉出身)にいわせると、今でも極貧だそうです!(×_×)
投稿: たーぼ | 2008年10月 9日 (木) 13時08分
東北の人は酒飲みが多い。この地の人に言わせると冬が長いから、ほかにやることがない。水がうまいから酒もうまくなる。
しかしながら、つい最近まで東北ではあまりいいコメはとれなかった。
岩手や青森では米は寒さにやられるので、収穫も期待されないし、味も落ちた。
戦後の著しい、農作の発展、化学肥料の充実で米作の北端があがり、近頃では秋田こまちやササニシキに代表されるようにうまい米がどんどんとれるようになった。
だからといって、急にうまい酒が醸造されるようになったとは思わないのだが、行くところどこでも地酒はうまかった。
外がさむいから、熱燗になるのだが、新鮮な肴と熱燗の染み渡るうまさは忘れられない。
投稿: yac | 2008年10月 9日 (木) 01時38分