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日本めぐり回顧41-3(08.11.08) 8月17日分 利尻島→稚内港→野寒布岬→無事カエルロード→稚内港北防波堤ドーム テント泊

12時40分に稚内港に着きました。昼食もソコソコにして、ただちに野寒布(ノシャップ)岬に向かいました。

Photo野寒布岬突端の公園です。左手うしろの紅白縞模様は稚内灯台、北海道一の高さです。右手後ろのピンクの建物は寒流水族館です。観光客は少なくゆっくりと周辺の眺めを楽しめました。断っておきますが、道東にある納沙布岬とここの野寒布岬はしばしば間違えます。ノシャップがここです。ノサップは北海道最東端の岬です、念のため。

Photo_2ノシャップ岬のモニュメント前です。逆光ですので、私はくらーい人間に写ってしまいましたが、根はそんなことありません。この公園からほぼ真っ正面に遠くかすかにサハリンが望めますが、私のデジカメではハッキリとはとらえきれませんでした。

P1020938でも撮ったことは撮ったのです。かなり遠いのですが、水平線の左に見える島影は利尻島、右3分の1にテトラポットが積まれている奥に見えるのがサハリンです。よかったら、この写真を画像としてパソコンにいったん保存して、それを拡大すればそれなりに見ることができるはずです。

Photo_3ノシャップ公園は宗谷海峡に面していますが、その反対側の山には自衛隊の分屯地があります。鉄塔・レーダーボールが多数あります。いうまでもなく北端の守りです。冷戦時代が集結したとはいうものの、まだまだロシアに対する警備は必要なのでしょう。ムベなるかなでしょう、現下の情勢では。

Photo_4 宗谷湾側から日本海利尻水道側にまわりこみ、通称「無事カエルロード」に出て、10キロ弱の海岸線を走行します。利尻島・利尻富士を見たかったからです。夕日が丘パーキングエリアからの利尻島です。お姿はやはり優美です。

Photo_5夕日が丘パーキングエリアは無事カエルロードから山越えで稚内の市街へ出るてっぺんにあります。正面からの強風にあおられてかなり難儀しました。それなりの景色が見られましたので、登りの苦労はチャラということにしておきましょう。

Photo_8稚内港北防波堤ドームに帰ってきました。今晩はここで野営テント泊です。礼文島・利尻島に向かった日に比べますと、多くのライダー、チャリダーが集まっているようです。今日ははやばやとブログを更新して、明日からの道東めぐりのチェックをする予定にします。このあいだのようなパーティは行われませんので。

    

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コメント

昨日から具合が悪くてどうにも熱が下がらん (>_<)  リポビタンスーパー飲んで寝よっと...
それにしても老拙さんはあれだけの気候変化でも風邪引かなかったの?? ほとんど怪物!! 多分あたしならとっくに熱出して帰ってる (+_+)  写真からも怪物ぶりが伺えます?(^*^) 
お土産屋のない観光はモノを考える時間を与えてくれるでしょう... 
それにしても良い天気とイイ景色、国境線なんて見えなかったでしょう、隣の国も単なる景色に過ぎないのに、レーダー基地があるので現実に引き戻されることになる!!
北海道めぐりもまだ半分以上残っている、写真と文章が楽しみです。 

投稿: たーぼ | 2008年11月 9日 (日) 13時17分

あらまあ、サハリンなんて地名を書いてますね。日本人にとっては間宮林蔵が踏破した頃から、樺太なんです。
さきの大戦後の9月に樺太に乱入したソ連兵が、在留日本人にどれほど悪辣な行為に及んだか、日本兵の中国や南洋での行為と同様、忘れてはなりません。太平洋諸島、沖縄での米兵の残虐行為も同様です。
戦争というのは民族を問わず、言い訳の聞かない不条理の世界です。
今、戦争が行われているのは、21世紀になっていない国や地域です。
現代史的に言うならば、国や地域の形態や国民の意識が20世紀初頭かせいぜい1950年代に止まっているところです。
欧米や日本では起こりようがありません。
そこをアメリカやイギリスがつけ込んでいると考えています。
ちょうど、17世紀から19世紀にかけて彼らが植民地を形成したころの考え方です。
欧州同士は決して自分たちの仲間を植民地にしようとはしませんでした。彼らにとって、遅れた、愚かな者たちを騙して植民地にしていったのです。そのころは、国土はプランテーションになったし、国民は奴隷にするという利益がありました。
いま、同じ事が起こっています。なぜでしょう。
やはり、戦争をしていないと経済が保たないという、莫大な消費経済がその根底にあると思います。
石油が出る中東は、資源の略奪を維持するという別の目的でしょうけれど。

投稿: yac | 2008年11月 9日 (日) 02時30分

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