日本めぐり回顧46-1(08.11.25) 8月23日分 羅臼峠→薫別→ポー川史跡→標津→尾岱沼→白鳥台→
寒かった~昨夜のテント野営は。たっぷり着込んで寝たのですが、2回、寒くて目が覚めました。持っている衣服を一通り着ていますから、あとのスペアーは洗濯したい肌着だけでした。背に腹はかえられませんから、汚れを我慢して重ね着しました。
キャンプ場は羅臼峠の麓ですが、峠のテッペンへはゆるーい坂を登るだけで、標高100メートルもありません。それに天井や海側が窓のようにあいているトンネルを、三つ立て続けに通過するだけです。写真はその峠を越えた地点からみはるかす国後島です。しばらくは国後島を左手に見ながら走ります。曇り空ですが、進む方向の空は明るくなっていますから、その内、晴れてくるでしょう。晴れてくれれば、おてんとさんとは何日ぶりにご対面になるのだろう?
国道335号国後国道の走行は、右手がオホーツク海岸と同様に草地、もしくは低木平野、左手は海岸の向こう、根室海峡をはさんで国後島です。なんの変化もない国道です。でも、国後国道(くなしりこくどう)と名付けたのはよくもまあ、という感じです。
3時間ばかり走りましたら、「標津町ポー川歴史自然公園」に着きました。ここからしばらく行ったポー川に古い遺跡が復元されているらしく、それらしい藁葺き小屋が道路際にありました。ちょこっと休みましたけれど、なんにもないんです。人の気配がまるでありませんでした。
ここは「サーモンパーク」のそばです。この近くに標津川をさかのぼる鮭たちを、ガラス越しに観察できる施設があります。まだその季節ではありませんので、私は国道からはずれて標津川をさかのぼることはしませんでした、当然です。その標津川を渡ったところに大きな会社がありました。写真の「五冷フーズ」の看板の下に立て看板があります。『募集 ライダーさん大歓迎(短期間)さけ処理加工要員』とあります。すぐにピーンと来ました。あの利尻島の「ウニ御殿」で出会ったバイトのライダーさんと同じく、北海道に来たライダーさん目当ての募集です。そういえば、この間一緒に野営したトホダーの中村さんは「知床を越えたら友人の誘いで、バイトをしながら北海道で越冬する予定」と言っていたっけ。彼のバイトはこの鮭処理なのかな。鮭の処理ってどんな処理をするんだろう?
海岸沿いに走ると、950号線自動車専用道との分岐点に出ます。尾岱沼を囲い込んでいる野付半島に行ける専用道です。行きたかった、国後島がほんとうに間近かに見ることができるからです。
尾岱沼=野付湾をすぎたあたりに「白鳥台パークエリア」があります。『北方領土資料館』があります。1階が食堂です。ホタテラーメンを注文しました。できあがるまでのあいだに、2、3階の資料館をのぞきました(写真撮り忘れた)。無料です。北方領土の定義と歴史、そして返還をめぐる旧ソ連との歴代総理大臣の関与などが多くの資料で案内されています。そして4階から国後島を遠望できるような仕組みになっています。倍率の大きな望遠鏡が備え付けられています。中州を挟んだ奥の島を望遠しますと、木造の小屋や木々、草地、そして人の姿までハッキリ見えます。おそらく、あちらは常時こちらを監視しているんだろう。なお、この資料館の前には返還を求める像がモニュメントで建てられています。母親の手を伸ばした姿が印象的でした。叫び、だったかな、銘は……確認を忘れた。
茨仙沼あたりです。湿原のようです。案内が出ていないから、よくわからない。北方領土資料館からほぼ直線道路でした。10キロ、いやかれこれ15キロぐらいあったんじゃあないかな。気がついたら、なあんだまっすぐな道路を走ってきたんだ、と思って確認した次第でした。それというのも、昼前にすっかり空は晴れ上がり、汗ばむほどになってきたからポーッとしてしまったようです。
栃木県から歩いてきた21歳の青年です。トホダーです。私とは逆回りでこれから知床をこえオホーツク海岸から稚内に向かい北海道一周する、とか。2、3年がかりの予定で日本一周するつもりだと話していました。ヒッチハイクが順調だったので、比較的ラクにここまで来れたと言ってました。たしかに、顔なんか日焼けしていません。まっ、北海道への旅はたしかに「ナンデモアリ」ですから、このまま進めるでしょう。
そもそも私自身も、この『日本めぐり―自転車一周』は、稚内から九州南端佐多岬まで、歩いて日本縦断する計画から出発したんです。もしかしたら、この青年が「おのが姿だった」のかもしれません……。でもトホダーじゃあたいへんだよ、チャリダーでさえたいへんなんだからと、いいたかったんですが、言わずにおきました。あちこちで仕事しながら行くんだろうと思う。いいな。若いって、働けるんだもの。わたしなんか「もうトシだから」どこも雇ってくれない……。
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コメント
久しぶりの青空!爽やかさが染み渡るのでは? 写真もスッキリ・・
この計画が初めから困難(苦難?)で在るのは織り込み済みでしょうから、ギャラリーはそれも含めて楽しんでました、
この辺りは余りハイライトシーンが見当たら無かったのかしら、普通に流してる風・・
老拙さんが「ナンデモアリ」を受け入れるには時間が掛かったのでは?
「北方領土」や「旧土人保護法」意外に知られて居ない・・ だいいち義務教育で教えないもん! アメリカでもインディアンの話に成ると眉をしかめるそうです・・
「むのたけじ」が書いてる、戦争反省は一部の人の謝罪では無く、国家国民等しく反省が無ければ蹂躙された人達は納得しない..と、
「清沢洌」の暗黒日記に在る、国民感情がそれの証明に成るのでは?
あたしもこの朝日新聞シリーズはスクラップしてます..今までにも障害問題やメディアの姿勢など、かなりリベラルな問題をテーマにしています。
それにしても日焼けの上が又日焼けしたらドーなるのかしら (^_^);
投稿: たーぼ | 2008年11月26日 (水) 13時41分
今回、千島領土のことに関して、少し歴史を調べてみた。
北方領土を返せと叫んでいるけれど、話は安政の日露和親条約に遡り、その時は南千島の四島が日本領で、樺太は混在していて領有権は定めないとある。明治八年の樺太千島交換条約で、樺太はロシア、全千島列島が日本領土になった。日露戦争の結果、南樺太を日本領土にした。今回の敗戦で、全ては御破算になり、ロシアの占領地になった。日本政府は安政の和親条約に戻ることを主張し、日本共産党は樺太千島交換条約に戻り、全千島を返せと主張している。共産党偉いじゃない、言うべきは言うんだね。
それと同時に、平成9年まで「北海道旧土人保護法」なるものが存在して、アメリカインディアンが土地を奪われたように、アイヌを駆逐する法律が日本にもあったということにも驚きだ。いかに我々は内なる矛盾に無知であったのか、この年になって恥じている。今、朝日新聞の夕刊で偶然にもアイヌの悲惨な歴史を連載している。
老拙さんのおかげで、いろいろ学ばさせてもらっている。
投稿: yac | 2008年11月26日 (水) 01時30分