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2016年10月

高野山下山 奈良明日香経由で帰宅

高野山は一日ではめぐりきれません。いずれ体力・気力があるうちに再び訪れたいものです。高野山はずっとここにあるわけですから。

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南海電鉄「高野山駅」から帰路につきます。
高野山へは南海電鉄、高野山内ではなんかい山内路線バスと、南海電鉄のネットワークを利用することになります。

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高野山駅からケーブルカーで南海電鉄「極楽橋」駅に向かいます。満員の乗客で、迎えに来ました。

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極楽橋駅で南海電鉄「なんば駅」ゆきにのりかえです。すでに2台の列車が並んで停車しています。乗るのは、左の緑色の電車。「こうや花鉄道 天空」とネーミングされた乙女チックな列車です。
けわしい急勾配の山間(やまあい)をゆっくりと走行し、高野山麓の自然や四季の移ろいをあじわえるのが人気を呼んでいて、つねに満席とか。

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列車内は片側の絶景を展望する木製のワンビュー座席です。
オープンデッキで、ここちよく山の空気に吹かれる展望デッキもあります。わたしは座席に座らず、展望デッキに立ち続けていました。
また、仲間やグループで旅を楽しめるようにと、コンパートメント座席も用意されていました。

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列車はアール(円周)の強い急勾配の下りを甲高いブレーキの キーキーッ、と線路をこする音をひびかせてのーんびり走りました。
山麓は、すでに借り入れが終わって秋の風情でした。

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橋本駅で降車しました。JRとが接続しています。
ここからバスで、立より先の 奈良 飛鳥 へ向かいます。

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平成13年秋に奈良で一週間を過ごし、その折(10月2日)にここ 飛鳥の里 でレンタサイクルを借りて駆け巡りました。ちょうど3年前の再訪ですから、さーっと、見流すつもりです(くわしい様子はそちらのブログに記してあります)。

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「石舞台古墳」です。

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石舞台の下は玄室です。

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一応、玄室の中へも入ってみます。3年前は、たしかあまり見学者はなかったように記憶しているのですが……。一人でじっくり見るのと、多くの人たちと見るのとでは、なにか印象が微妙に違って感じられます。記憶も変えられるようで、感心しません。

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石舞台古墳のそばに、かつて玄室の中にあったであろう復元された石棺があります。それをみるのにも、わたしのなかでは、やじ馬がよってたかって物見するようで、いやーな気分になりました。

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それにくらべて、秋の石舞台古墳をとりかこむ飛鳥の風景は、やはり渡来びとが故郷をしのんでいただけあって、わたしのこころを落ち着けさせてくれるものでした。

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もう一か所、たしか昨年だかに住職が亡くなった「飛鳥寺」にまいりました。

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日本最古の大仏、飛鳥大仏にふたたびお目にかかりました。
亡くなられた先の住職さんの「どうぞご自由に撮影を」の勧めの言葉とともに、この大仏のゆくたてを、やさしくわかりやすくご説明してくださったことを思い出しました。現住の御住職にも、心打たれるおことばをいただきました。

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大仏のお顔には、この寺の歴史が現れています。たび重なる火災で焼けても、なお繰り返し修復されたお姿がその頬にくっきりと……。おいたわしや……。
堂宇は焼け落ち、あるいは焼失しても、いま、現に、ここに大仏がお座りになっている場所は、まったく動いていない、太古の位置そのままだと伺いました。

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飛鳥寺の裏手の「蘇我入鹿」の首塚。
再びの飛鳥の秋景を脳裏にきざんで帰宅の路に着きました。

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     *     *     *

帰宅しましたら、私の居住地に隣接する小学校の改築工事─今年4月からはじまった─その取り壊し作業が大詰めに迫っていました。

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重機でいともたやすく解体される学校の姿を見るのは、さすがにつらいものがあります。

ともあれ、ひさしぶりに回復した体調をためした紀伊半島巡りは無事に終えることができました。

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金剛峯寺と壇上伽藍の拝観

朝の散歩で通り過ぎただけの金剛峯寺を拝観します。

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金剛峯寺は、高野山真言宗の総本山です。ちなみに、うちの宗派も真言宗豊山派ということになっていますが……。

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主殿の屋根に巨大な水桶が2基据え付けられています。防火用水なんだとか。演習にぶちまけた水跡が、苔の生えたようなうすい草色になっています。先人の知恵、と言われています。はたして実効性格があるのかわかりません。
広大な境内は5万坪近くあるということです。広すぎますので、左手にある別殿、奥殿、蟠龍庭などは今回立ち寄りません。

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主殿右側には、納経帳記帳所、事務所、があり、襖絵が公開されている主殿拝観を受付けています。

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主殿大広間をうかがって、カメラで思い切り引っ張って、襖絵を見させていただきました。

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高野山にゆかりの深い三鈷杵。壇上伽藍でふれますが、の三鈷の松を象徴しているものです。

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主殿左側の木々がそびえているあたり一帯が別殿です。またの機会をつくって訪れることにします(それはたぶん、4回目の四国遍路の結願のあとのことでしょう)。

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鐘楼です。袴腰の様式ですから、鎌倉時代以降の建立にあたります。確かめたいのですが案内はありません。撮影厳禁は退出したあとに気づきました(にもかかわらず、こうして写真を掲載するのはイカガなものか)。

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高野山の聖域、壇上伽藍への道です。
これからのシーズンは、この蛇腹路は紅葉で大賑わいの様相を呈するそうです。ちらほらとそれらしく色付いています。引きも切らない様子がなんとなくうかびます。

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反省しています。なんとはなしに、いつの間にか、参拝の前に身を清めることがなおざりになっていました。念入りに手水をつかいました。
弘法大師が1200年前に開山した高野山、その真言密教の根本道場として創建したのが、ここ壇上伽藍です。広い台地にいくつもの堂塔が配置されています。
 
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東塔。天保時代に焼失しましたが、弘法大師入定1150年御遠忌記念に昭和59年に再建されました。
西塔も、むろんのことこの先にあります。

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伽藍の中心にそびえたつのが、高さ48.5mの根本大塔。昭和12年に再建されました。

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大会堂。

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金堂。一山の総本堂として重要な法会がいとなまれます。弘法大師が創建しましたが、いくたびか(7回)焼失し、現在の金堂は、昭和7年の再建。

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中門。広目天、増長天などのおおきな四天が守っています。
天保14年に焼失し、昨2015年、172年ぶりに再建されました。

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不動堂。建久8(1197)年行勝上人の建立、住宅風の仏堂として有名なんだそな。国宝に指定されています。

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御影(みえい)堂。弘法大師のすまい。弘法大師の御影が安置されています。
画面の白い窓は、障子です。障子といえば、指の先をなめて湿らし、障子紙に穴をあけた経験はどなたもお持ちのはず。そうです、点々と障子の下に連なっているのも、そうしてあいた穴です。「中をみてみたい」のは、いずれの時代もおなじですね(わたしの側近が言います「今の若い人は障子なんてしりませんよ」と。ほんとですか?)。

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西塔。巨大な杉に囲まれて建っています。高さ27mの多宝塔です。

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三鈷の松。案内によると、弘法大師が唐から帰国の際、寺院建立にふさわしい土地を祈願し『三鈷杵』を東の空に投げた。そして帰国後、その三鈷杵を探し求めると、高野山の松の樹にかかっていたので、この地を真言密教修行の地に選んだということです。これで、金剛峯寺の主殿に置かれていた、大きな三鈷の意味することがわかりました。
三鈷は三股に通じるということで、この柵のまわりで、三本の松の葉を探している人がいました。

伽藍の地が広すぎて、中門を取り込んで根本大塔、金堂、御影堂を写真に収めたくて、あちらこちらからカメラをかまえたのですが、私のデジカメではムリでした。とても残念でした。

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高野山 奥の院 弘法大師御廟参拝

ありがたや 高野の山の 岩かげに
  大師はいまだ おわしますなる──四国遍路納経帳より 

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高野山 奥の院 弘法大師御廟を中の橋から参拝します。あいにくなことに小雨模様です。老杉がそびえたち、幽邃な雰囲気に浸りきります。
平成18年5月30日、第一回四国遍路の全行程を、あるきとおしました。その2日前、5月29日に四国88カ寺巡拝遍路を結願しました。その収め参りに高野山奥の院に参拝し、納めの納経をしました。カミさんを東京から呼び寄せて大阪駅で落ち合い、二人してこちらへ参拝しました。
なお、その翌日には、京都の東寺へも行き、すべての四国遍路を満願しました。
今回は、二度目の参拝となります。

奥の院への道の両側には、たしか20万基余とききましたが、びっしりと墓が立っています。貴顕はもちろんのこと、こころあるフツーのひとびとも、一般庶民たちが高野に葬られることを望んでのことでしょう。
墓の写真をずらずら並べてもナンでしょうから──記憶にとどめておきたい墓石のみを。

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東日本大震災物故者慰霊碑、

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小道を挟んで、阪神淡路大震災物故者慰霊碑。

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昨今、関心をもっていくつかの書籍を選んで読んでいる、法然上人の墓所をみつけました。わかいころから読みふけった、禅をすこしはなれてみようとおもっている……。

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芭蕉の句碑だが、文字が判読できない、いずれ落ち着いて調べてみればわかるでしょう。ここにあること自体のように、手がかりはたくさんあるのだから。

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すがた、様子のよさげな 安芸浅野家の墓所。東京伝通院の徳川歴代の夫人たちの巨大な五輪塔をおもいおこされました。

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この玉川の清流にかかる「御廟橋」から先は、厳しく撮影が禁じられていますので、カメラはバッグにしまいます。

奥の院 弘法大師御廟を参拝し、その地下の灯籠堂で30メートル先でお休みになっておられる弘法大師をさんぱいしました。弘法大師は即身仏です。

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復路は脇道ですが、この塚には圧倒されました。無縁塚、なんですが……。

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高野山天徳院宿坊に宿泊し、早朝散歩

昨日、高野山へは暮れなずむころに到着。天徳院宿坊に一泊をお願いしました。──以下、webサイトから……
高野山のほぼ中央、総本山金剛峯寺の目の前に位置し、山内唯一、重要文化財の庭園を有し、書院造りの和室から、風光明媚な四季折々の眺めを堪能できるのが、高野山 別格総本山 天徳院です。宿坊寺院です。工夫を凝らした精進料理、凛とした空気の中で行われる朝の勤行、緩やかに流れる時間……静寂で、安らかななひとときを過ごせます。また、天徳院は、高野山の総本山金剛峯寺の目の前にり、二代将軍の徳川秀忠の二女珠姫の戒名から天徳院と名づけられ、菩提寺となっています。
また、五代将軍綱吉の母である桂昌院からの赤穂四十七義士のお位牌も祀られている由緒あるお寺です。

ぐっすり眠れました。いつものように4時に目が覚め、朝の勤行に参加しようかなとも思いましたがやめにして、天徳院の周辺を散歩しました。

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天徳院入口。
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天徳院玄関、宿坊玄関。

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隣接する高野山大学、

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そして、如意輪寺とならび、

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ちょうど駐車場を挟んで天徳院の真向かいに高野山 総本山金剛峯寺、

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「六時の鐘鐘楼」、約400年前に建立され、毎日6時から22時までの偶数時に撞かれ、高野に鳴り響く。

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大伽藍への蛇腹道、紅葉の時節には見物人が押すな押すなと込み合うとか。

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今日の高野めぐりのコースに足を踏み入れてしまったが、霧に浮かぶ寺院も見がたいものと、ずらずらーっと写真をならべておこう(クレジットはつけない)。

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金剛峯寺前に戻ってきました。たかだか半時間ほどの散歩でした。

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もう「おねむ」の時間はおわりましたよ。

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ゆるキャラの「こうやくん」は、そろそろ出発のしたくを終えたようです。

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熊野古道中辺地をちょこっと歩く

熊野川に沿って、熊野古道中辺地ルートを行きます。

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足を使わないのはいけません。本来はあるくのが基本です、ピャーッと走り去っては、なにも得るものはありません。でも、今回の紀伊半島巡りは、とびとびのポイントめぐり、車に乗りました。

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川の流れは変わりませんが、だんだん山が深くなってきました。水は、素敵な青みを増してきました。

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熊野古道を安直に経験するなら、ここがベストとされているので、「牛馬童子」への道をえらびました。

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まとまって案内してもらえるグループに参加させていただきました。男女二人のガイドさんが、道案内とこまかな説明や注意を与えてくれます。山道には、どんな危険があるのかわかりませんから。わたしの選んだのは、女性の先達さん。

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久しぶりに味わう、四国の遍路道=遍路ころがしのような山道をゆきます。

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道幅は最大一間=180センチ、狭いところはヒト一人があるけるはばデス。こんなふうな石畳道もあるし、全体が比較的きちんと整備されていました。

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先達ガイドさんが熊野特有と紹介してくれた三股の杉っパ。これのいわく因縁を話していたけれど、覚えていない……。

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一応の目標地点、「牛馬童子」に着きました。わたしにしてはめずらしく、汗一つかいていない。やはり遍路に順応できる体になっているのだ、とよろこばしく思った自分であります。

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ここも、説明板を──

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すぐそばの樹の根方に、不動明王と地蔵が一緒のめずらしい石造もありました。両者ともに、児童のようなほほえましい笑顔でした。

「もう少しです、がんばってくださいよ」と、先達さんがはげましてくださいます。これから、くだりにかかります。

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四国遍路のときに、遍路道を歩いていてこんな風景にでくわすと、そこでいったんあるくことをやめます。なんていい景色なんだ、とその場の気をとりこんで、我が身をリセットします。それは「ひとはなぜ遍路に行くのか」という設問の答えの一つ「こんな経験にひたりたいから」なのかもしれません。

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ふもとの里では稲刈りがおわり、刈り取った稲を、いまどきめずらしい稲架による自然乾燥、天日干しにしていました。

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アユ釣りの姿も目にしました。いーなぁ……うらやましいなぁ、デス。

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ちょこっと歩き熊野古道 牛馬童子コースの終着点です。かの出口王仁三郎書「近露王子乃跡」碑の前で解散です。なお、「王子」は京から熊野までの古道に100あります。

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お二人のガイドさんに感謝です。どちらかというと、女性のほうがお四国遍路さんに近い恰好でした。それにしても、お元気な方でした。あえて年齢不詳ということにしておきます。

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今夜は高野山の、ある寺の宿坊に泊まりますが、……
だんだん霧が深くなり、雨になり、すっかりまわりがけむってきました。

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熊野本宮大社参拝

熊野川の岸辺がもっとも近い道の駅「瀞峡めぐりの里」で休憩。

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ここから上流に奥熊野川瀞八丁の清流が伸びてます。道の駅の裏手の志古乗船場から高速ウォータージェット船が出ています。

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どういう仕組みなのかわかりませんでしたが、船尾から水をすさまじい勢いで噴出して、水面をすべってゆきました。お客は片手ほどです。

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さて、これから熊野本宮大社に参拝です。

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熊野大権現の大幟が参道につづいています。
熊野権現=熊野大社(熊野三社)は、日本全国に大小とりまぜて3631社もある「熊野神社」の総本宮です。

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本宮へ向かう脇道にも熊野古道があります。ずっとずっと私が若ければきっと、こんな道をあるいたことでしょう。ちなみにここの古道は「哲学の道」と名がついていました。

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長ーい階段をのぼって、熊野本宮入口に到着。ここで、ちょっとためらいが生まれました。禁煙看板の上にもう一つの禁止の文字が……

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横手に八咫烏の幟が見えますので、

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行ってみました。

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おや、まあ、真っ黒な郵便ポスト(使えます)に、八咫烏がとまっています。

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日本のサッカーのエンブレムに使われてすっかり名が知られたヤタガラス、そのただしい由来がかかげられていました。

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いよいよ熊野三宮参拝です。この「ご案内」の三宮を右から順に──

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そして、

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左からの全三宮をカメラにおさめました。
熊野本宮大社は、古式ゆかしい雰囲気を漂わせてています。
熊野古道は、高野山と熊野を結ぶ、自然崇拝の神の道です。中国からの伝来仏教と、我が国古来の神道が結びついた修験道など、多様な信仰の形態をはぐくんだのが熊野です。「アリの熊野詣」のことばがしめすとおり、かつては途絶えることなく、参拝・参詣の列がつづいていたのですネ。
明日の高野山参りが、ぐっとたのしみになってきました。

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長く念願としてきた熊野本宮大社まいりはおわりました。山路をくだりながら考えた。もう一度お参りに来たいものだが、それは……ですね。
わかいときには、なかなかでかけられない。でかけられるようになったときには、からだがいうことをきいてくれない、まったくもって人生ってやつは思い通りにはならないものだ。今ごろになって気が着いたのは。まったくもっておろかのきわみ、だなァ。

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熊野速玉大社 参拝

いったん那智勝浦へもどって──

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熊野速玉神社へ。どうしたわけか、手水場は混んでいます。団体で参拝にいらっしゃった、とか。

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熊野速玉神社は、熊野権現が最初に降臨した地とされる神倉山に祀られていたのを、ここにうつしたという。山門入口には、いやーな垂れ幕がかけられています。昨年の9月以来、どうもこのテのスローガン(?)には、しぜんと拒否反応が生まれるのを否めなくなっている。

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日本で最大級で国の天然記念物、20mをこえるナギの巨木が、みごとな苔をまとって屹立しています。根方のすばらしさにばかり気を取られて、高さを捉えそこなってしまいました。

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本殿、拝殿の朱色が、真新しく映えています。

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拝殿で注意したのは、しめ縄の形状です。わたしの日本めぐりでは、はじめて目にしました。ふとーい、リッパ、です。

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団体さんがいなくなったので、ゆっくり撮影しました。ゆっくりのわりには、このふたつの社殿がなになのか記録しそこなってしまいました。ナギの樹といい、ここには、なにかものわすれさせるような気が横溢しているのでしょうネ。

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それぞれの社殿の千木の形状が違っています。天にそって平行しているのと、切り落としたようになっているのと。

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熊野は歴代の天皇などが京から行幸にこられたとききます。その名前と回数が屏風のような石に刻まれています。その名を追うと……やめましょう、あとできっと歴史と事績を調べたくなる面倒をしょい込むことになりそうなので。

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時宗の一遍上人のゆかりで、熊野の牛王宝印の御符をもとめました。
サテ、護符には何羽のカラスさんがいらっしゃるのでしょう?

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御符の「熊野牛王宝印」についての説明です。

ふと気が付いたのですが、どうもわたしはここ速玉神社へは、わき道からはいってきているような感じがしてきたので、いったん表に出てぐるっとまわりをあるいてみました。

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やっぱりでした。一般道から、下馬橋をすすみ、熊野権現の大鳥居をすすむのがただしかったのでした。

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小社の手力男神社と、

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ならんでいるのは八咫烏神社。

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なお、ここ速玉神社の一郭に、紀伊和歌山新宮出身の佐藤春夫記念館があります。

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東京世田谷の旧居を移築したもので、一般に有料で開放されています。今年の夏の初め、文京区の春夫の住まい跡をたずねたことを思い合わせました。

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つげ義春の『無用の人』をお読みになったか? マンガだから、ご覧になられたか? その雰囲気にピッタリだなあ、と。

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川原の家、河川敷におおく設けられていたかつての軽便な家なのですが……

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熊野那智大社 青岸渡寺参拝

すこーし晴れ間がのぞいたのに、またくもりはじめました。雨は降ってほしくないのだが……

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那智大社と青岸渡寺にまいります。一般道の民家の間を通って、しばらく山道を行きます。

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ずーっと奥へ続く参道=山道を、足弱の方はお杖をお借りしてのぼります。かなりの距離がありそう。

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山道の途中に「那智郵便局」があります。那智の記念切手が販売していることを後で知りました。絵手紙に貼るのにいいかも。赤丸のっぽポストも現役でした。

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那智は「那智黒石」が名産。参道に出ているこていなお土産やさんには、黒石を加工したさまざまな品物が並んでいました。碁石、硯などが主なものです。中には、工房スタイルで加工作業を実演している店舗もありました。

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山道から目をやると、遠目に那智の大滝が見えました。

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かなり息があがってきました、老体の身にはきついのであります。でも、このカーブしている階段をのぼれば、安堵できる……と、気弱に思う。

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「熊野那智大社」=「那智山熊野権現」の大鳥居に、やっとこさ到着。汗びっしょり。ふうふう、ヒーヒー、呼吸は乱れて、弱っている心臓には決して良くないはずだ。でみなぁ──

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まだまだ……そうそう簡単には終わらないのが旅というもの……
四国遍路の寺々の参拝とおんなじ。寺は山の上にあることは、じゅうじゅう経験ずみではありませんか、老拙さんよぉ。愚痴をこぼしなさんな、みっともない!

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着きました。今年の干支のサルが巨大化して迎えてくれました。

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朱塗りのあざやかな熊野那智大社本殿。改修されたばかりのように、うつくしい神殿であります。

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わき宮も朱色がかがやいています(うっかりしてなに宮なのか、おぼえておかなかった。ネットをみればわかるはずだが)。

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那智大社の右にすこし低く隣接しているのが青岸渡寺。こちらは木造、檜皮屋根の古い趣きをとどめている青岸渡寺。いうまでもなく、神仏習合を色濃く残しているのが、那智大社と青岸渡寺なのです。そして、寺の奥に行くと──

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書籍、テレビなどでさんざん目にしてきた、天下に誇るべき、絶景が見られました。この光景を見たさに今回の旅にきた、のでもありました。
記憶より記録を、と旅先ではカメラを駆使していますが、この風景ではしっかりとおぼえておきたい……しばらく、この景色に見惚れていました。
そのとき、背中にスーッと涼しさを感じたのは、あながち汗が乾いたばかりではありませんネ。

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印象をさらにつよめ、記憶の奥深くにとどめようと、うんとカメラでひっぱってシャッターを押しました。

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那智大社、青岸渡寺をぐるーっと一周して、また那智大社の大鳥居前に着きました。これから下山です。

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紀伊 那智大瀧を仰ぎ見る

熊野古道大門坂から那智大滝へと向かいました。

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これより那智の滝へ。那智の大瀧は飛瀧神社でもあります。むろん大瀧がご神体です。

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木々がうっそうと茂る石畳道をくだってゆきます。石畳とはいうものの、けっこうきつい階段状の道になっています。神域はどこでもそうですが、原則、右側通行なんですネ。

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わかいお姉さんが信じらんないスピードで追い抜いてゆきました。しっとり濡れた石畳で滑らなければ、と老体のわたしは心配します。

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まもなく、下りきったところが、大瀧前らしいのだが……あのお姉さんは、どこかしら……ずいぶん早くについたようだ。

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ぱっと開けた──大瀧前に到着です。

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大瀧到着。ここは、シーズンには、人手でいっぱいになると聞きました。心配していた、ぴゃーぴゃー、フンダラミャンダラ……などのことばがきこえず、静かに参拝するひとたちばかりでした。──画面右の黒い影は、巨木の幹です。アングルがわるかったせいで、変なものを写し込んでしまいました。

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許されている見物垣根の、ぎりぎりまで行って撮りました。

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振り仰いで、滝口を目いっぱい引き寄せて、写真に収めました。手ブレもなく、流れ落ちる水、荒々しい滝口の岩々、それらを取り囲んでいる草木……よく撮れました、と自画自賛です。

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那智御瀧  飛瀧神社のご神体として、篤くおまつりされていることが、この祭壇でよくわかりました。お賽銭も忘れないようにいれて、一応、2礼2拍手1礼して、尊崇の気持ちを捧げました。「この旅が、事故なく、怪我なく、災害なく、病気なく無事終えられますように」といつもかならずする、お願いをしました(たくさんのお願いなので、さしあげるのは小銭なんかではありませんよ、念のため)。

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インターネンとの発達、スマホの普及等々、この世の中、いともたやすく必要な情報は手軽に得られるようになっています。ことごとしく、ぐだぐだしい説明は、もはやこうしたブログには不要になっているのかもしれない。ということで、いつものようにこの那智の滝の説明ははぶいて、案内板をアップしておきます。

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中央の朱塗りの社殿には、通行止めの高札が立っていて行けません。行ってみたいなぁ、知りたいなぁ……デス。

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ありがたく那智の滝を参拝して、石畳を戻ります。
次なる那智大社に向かいます。どうやら陽が出てきたようです。

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紀伊勝浦温泉から熊野古道大門坂へ

巨大な温泉宿泊施設でした。島のてっぺんにも施設を設けて眺望を誇り、6つの温泉浴場(一つは改修中)を館内にめぐらし、まるでレジャーランドのようでした。あのバブル絶頂期に拡大し膨張して今日に至った、そんな印象です。ですから、つねに多くのお客を呼び込んでいなければまわらないのかも。ですから、客層はほとんど団体客、とおもわれます。

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ともあれ、朝です。窓から見下ろせば、漁船がうごいています。

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勝浦の町と海に突き出ている突堤は、そろそろと活気がたちのぼりはじめています。こまかい雨粒が風にまっているようなので、今日の天気がすこし心配。

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朝食はバイキング。最近はどこも、このスタイルになっているのは、経営と効率を求めざるを得ないからなのでしょう。しっとり、ゆっくり、そんな食事をするにはそれなりの……ということにならざるを得ないのでしょうネ。

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フェリーに乗って、勝浦へもどります。亀さんフェリーはまだ運航していないのかしらん。

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勝浦は漁師町でもあります。漁を終えた網を忙しそうに干しています。

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せっせと網を繕っているのは、ご夫婦とジッチャンか。

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フェリー客を当て込んで、にわか朝市を設けて、よびかけていました。おばちゃんたちですね。魚介にはひとだかりしていましたが、このおばちゃんのパラソルでは柑橘をあつかっていました。でっかい荷物を手にした温泉帰りなのに、さらにおもたいミカンなどを下げて帰るのは……ごくろうさまデス。

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那智へ向かいます。それには熊野古道をゆきますが、第一に体験するのが大門坂。熊野古道の雰囲気をあじわいます。

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ここから、熊野古道らしさがじょじょに、自然によって演出されてゆきます。

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かつて熊楠が居住していた旧宅。熊野研究、粘菌研究、熊野の自然保護の先駆者として、尊敬すべき人です。驚異的な博覧強記の大学者です。

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石造鳥居をくぐれば、いよいよ神域をすすむことになります。

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熊野詣の女臈装束を、おのぞみならば「レンタルしています」のお店もでています。

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クスノキ、杉などの茂る石畳を奥へ奥へとすすみます。

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息が切れてチョッと一休みしたくなってきたところで、パッとひらけたのが大門坂のてっぺんでした。やれやれ……

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この先はまだ続きますよ、那智の大瀧へ行くなら……。

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並行している車道に、三本足の八咫烏(やたがらす)の案内表示が立っています。あと2キロがんばりなさい、とばかりに距離がでています。

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曇っていますが、周りの山々はすこしずつ明るくなってきたようです。

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今宵のお宿は紀伊勝浦温泉

けっこう歩いた一日で、疲れました。ふだんの日常は、夕方散歩以外は一日の大半は書斎暮らし。はなはだしい運動不足のからだ。旅に出なければ、まず、あるきまわることは、ない。それだけに、32000歩もあるいた今日の運動量は、ハンパないのだ。

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暮色に包まれつつある、紀伊勝浦に着いたときには、ホッとしました。ヤレヤレ……

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フェリーボートに乗船するのですが、切符を求め改札をとおるのに、ここもゾロゾロと行列です。

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目指すのは、あの島。島全体が威容を誇るホテルそのものという。あとで、よくよくたしかめたら、地続きの半島だそうな。そうと知ったら、なーんだ、客寄せのピーアールと、「船に乗る」というちょっとしたおまけの趣向と気づき、半分ゲンナリでした。世の中によくある知って損することの一つかもね。

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「温泉とまぐろと世界遺産の町」歓迎アーチをかかげるフェーリー桟橋へ。

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まあ、なんて可愛い。いまふうには「カ・ワ・イー~」
亀さんボート浦島丸が、ほどなく桟橋に到着です。

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船内は、椅子席満杯、立って乗船と、どうも定員オーバーの気配ですけど、ものの10分程度の運行だし、ぐるーっと周りが取り囲まれている湾内を突っ切るだけだから、まっ、いいことにしましょ。大丈夫、ダイジョーブ! ときつく自分にいいきかせます(怖がりで臆病で、まことに困ってっしまう)。

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ボートが到着した目の前が、お宿の玄関口。いや、ホテルが専用の桟橋を設けたのかもしれない。フェリーと宿の経営主体が同じか別かでわかるのだろうが、旅に来てまで、そんなことに思いわずらうこたぁないだろう。どうでもいいってことだ。

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お部屋でくつろいで、おやすみなさい、です。

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紀伊半島巡り3──伊勢皇大神宮(内宮)門前町のにぎわい

伊勢の内宮参拝の後は、かつて「おかげまいりあそび」で旅のくさぐさを晴らしたのでしょうが、いまはそんなことをする人はいない。ピューっと飛んできて、サッと帰る……多少のお土産を買いこんで。
お伊勢さんの門前は名付けて「おはらい町」。軒を連ねてざっと100店舗あまりがひしめいている。折しも、今日は「来る福招き猫まつり」の最終日。旅の途中のお土産購入は、のちのちの旅程にやっかいなお荷物になるので、ぶらぶら散歩、いわばウインドショッピングにとどめておくことに。

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内宮の宇治橋右手に伸びている「おはらい町」は、ここも混んでいそうな人ごみ。

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まず目に入ってくるのは、「赤福」の内宮前支店。ンーと浮かんでくる感想はひとまず置いといて、先へ。

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町並みと商店などの建物は、木造を基本に古い建築形式を保存、お伊勢さんまいりにふさわしく工夫をこらしていると聞いた。
でもなあ、ぞろぞろ行列で歩かされ、「買いなさい、買いなさい」の声にうながされているようで、気分はよくないのだが……。所詮は、土産と食い物を商う店ばかりなのだけれど。

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横丁から一歩、店の裏手に出ると五十鈴川が流れる岸辺に出る。

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川岸から「おはらい町」にのぼる、こんな風情のほうが、のぞましい町並み……だと思う。

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ここが「赤福」本店。つい先年、賞味期限の偽装、売れ残りの使いまわしでさわぎをおこした「赤福」。あまりにも、伊勢参りと赤福餅のコラボで名を売り有名になっている「赤福」──それゆえに、自戒、自制がわすれられオゴリが蔓延したのでしょう、きっと。だって、この町をあるいただけで、いかに「赤福」がえばりくさっているかがよくわかる。出店のようす、店の出し方、看板、そしてその名をかぶせた品物のかずかず……売れればいいんだ、の姿勢が見え見え、とふだんはぜったいに言わない辛口がでてしまいましたょ。

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「おかげ横丁」入口。福招きまつりが開催中、ちょっとのぞいてみる。
江戸時代のおかげ参りの伊勢の様子を再現した町、がコンセプトとしてかかげられています。「えーじゃないか、えーじゃないか」と踊り歩きすることはできないのが、いささかものたりないが、そうそうなんでも思い通りにならないのが、世のツネと申します、がまんしましょ。

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「おかげ横丁」の賑わい、といきたいところですが、なんの変哲もありません。
食い物と安っぽい品物の並ぶ、浅草・原宿あたりと変わらない若いもん向けの店ばかし。「江戸時代のおかげ参り」の様子など、ちーっとも再現されていません。

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真実は細部にやどる、いやちがった、本質は目につかないところにひそんでいる。喧噪な町並みの裏手をぶらつくと……けっこうお気に入りな写真が撮れました。

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帰り支度をしながら、引き寄せられるようにして、ふと気づいたのがここ「旧林崎文庫跡」。長々と説明できないので──

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ゴメンナサイ、お読みください。

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「猿田彦神社」前は、時間がないので走り抜けてしまいました。
ここが、日本全国あちこちにある「猿田彦神社」のいわば総社。
猿田彦は、いわゆる天孫降臨の際に、天照大神に遣わされたニニギノミコトを道案内したとされる国つ神です。庚申信仰や道祖神、さらには開拓・開墾の地に多くまつられています。つい先月に歩いた、東京の東はずれの江戸川堤にも小さな祠の猿田彦神社がありました。

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伊勢は柿が名産品で、わけても富有柿がたくさん収穫できるそうです。熟柿にすると、そのうまさは……わたしの大好物でもあります。収穫の時期はすでに終わったようで、そのなごりが柿の木にわずかな黄色を残していました。

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紀伊半島巡り2──伊勢皇大神宮(内宮)

案内パンフレット──皇室のご祖神をおまつりする、わが国で最も尊いお宮です。五十鈴川の川上に千古の森に囲まれて、2000年の時を超えて古代のたたずまいを今日に伝えています。
いいですね、こういう文章は。ついひとむかし前だったら、漢字だらけの旧仮名遣いの文語文だったことでしょう、きっと。そんなことににもどらないことを……

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定番写真。内宮入口の宇治橋は右側通行厳守で渡ります。

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五十鈴川の流れ、そして一帯の自然派原始のまま、とか。

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あな、めでたや、めでたや、な! 「おめでとー」と声をかけて、パチリ。
なんでもありなんだ、ちかごろは。わたしは、こんなひとの往来がはげしいところでは、とてもはずかしくって、こんなマネはできないな。もっとも後期高齢者は、そんな思いすら持つべきではない、ノダ。

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沐浴代わりに、五十鈴川の流れでお清めです。身についている不浄をおとします。傍のおかあさん「今まで背負ってきたお荷物をここで流しなさいね」と、娘さんに。ドラマは、ここにもあるんですねえ。

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正宮へむかってゆきます。巨木につつまれ、玉砂利を踏みしめるのはいい気持ちです。それに、鳥たちがけっこう、きれいにさえずっています。

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参拝にかかわる一切をここで。納札記帳、お守り、護符……などの販売も。

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ご祈祷のお神楽を奉納する神楽殿。ここのブロックに、五丈殿、御酒殿、由貴御蔵が立ち並んでいますが、カメラでの一景にはおさまらない。

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ン! エッ? なんだぁ、これは!? いきなり木造の巨大な塀らしきものが。

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塀を目にしてふりむけば、正宮への上り口。正宮の結界を示す塀だったのです。さて、ここからは、やかましく撮影厳禁、カメラはバッグにしまい込みます。
つい先ごろ開催されたなんとかサミットで、世界のお歴々が整列して写真撮影におさまったのも、この階段でのことでした。よっく考えてみると、我が国の皇室祖先をおまつりしているこの場所に案内するのは、あきらかにわがクニタミへのピーアールなのですねえ。こういういやーな感じを抱かせることが多くなりました。クワバラ、クワバラ。

案内パンフレット──(アマテラスをまつる)正宮正殿は五重の垣根に囲まれています。唯一神明造の古代の様式を伝え、かやぶき屋根には10本の鰹木がのせられ、4本の千木の先端は水平に切られています。

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のぼったところへはおろさないのです、べつに設けられた正宮参拝後の降り口です。

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御稲御倉(みしねのみくら)の屋根を支える柱のさきっぽ。20年ごとの遷宮のゆらいをときあかす、そのひとつがこれ。地面の上に直接建てられたじか柱の木造建築は、木の縮みとともに柱は地面に沈んでゆく、そして屋根をささえる柱とは隙間があいてゆく、補修しなければならなくなる。いわば式年遷宮のバロメータにあたるのがこのスキマなんです。ニートをばかにしてはいけませんよ……伝統と技術の継承は、こうして保たれ続けていくのですから。

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天照大神の荒御魂をまつる別宮の荒祭宮。荒御魂とは、神の特別な働きをする状態、神が現れた状態をいう、と。
この宮の様子がいいので、別の角度から──

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静謐な感じをとらえたかったのですが、参拝者が写り込んでしまって、残念。

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ここもパワースポット。巨木の根方の数多くの白石がそれ。こういうことをスピュリチュアルっていうんだっけ? 信じ込んでいる(とくに若い衆)からすれば、なんともいかがわしいもの、なんておもっているわたしはヒンシュクを買うことまちがいなし!。

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もう内宮を出ることにしました。宇治橋の下に回り込んで、その木組みを見ました。

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最前花嫁花婿とすれちがったあたりでの五十鈴川をのぞく。こちらはずいぶんとはやい浅瀬の流れでした。

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鳥居で頭を下げて内宮参拝はおしまい。
これから門前町をすこーしぶらつくことにします。

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紀伊半島巡り1─名古屋から伊勢豊受大神宮(伊勢神宮外宮)に

台風などで不順な気候がつづいていました。それも、どうやら落ち着いたようなので、紀伊半島めぐりの旅に出ました。

今回は、パソコンを持って行きません。
日にちを追ってのブログ更新にはなりません。
旅先のポイントごとにくくって、まだ見ぬ光景写真をどうぞ、とならべます。

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ふだん4時ごろ起床なので、ゆっくり支度をしてザックを背負って(8キロ弱)出発です。足は、それなりのトレッキングで。

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東京駅は、そぞろ人手が出ています。並みいるお勤めの方々のじゃまにならないように、新幹線乗車です。

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名古屋駅に着きました。この先は名鉄やJRの鉄道には乗りません。

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バスに乗ります。ピューッとはしりながらも、なんだかセカセカしいのはこのみではありません、せまっ苦しいのをしのげば、やっぱりバスがいいですバスが。

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伊勢神宮は、まず豊受大神宮=伊勢神宮外宮からめぐります。仕事で出張した折に、ナイショで来てから、かれこれ50年ぶりの再訪です。──は、おかしなことに、この次に行く内宮には、そのとき行かなかったには、サボってはダメよと天の声を聞いたからかも。

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ひしゃく一杯の水で、左手、右手の両掌の不浄を落とし、口をすすいで、残りの水で柄杓の柄を清める、手水場……お嬢ちゃんも見よう見まねで、上手ジョーズでした。四国遍路の寺々のような、濡れた手を拭くタオル・てぬぐいのたぐいは、どこにもぶら下がっていません。

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豊受大神宮正宮(しょうぐう)。内宮とおなじ様式の正殿はこの鳥居をはいった中にあります。天照大神の食事をつかさどる豊受大神をまつっています。
写真撮影はできません。中央にたたずんで記念のポーズをしているおじさん(ハテサテ、だれやら?)のようにしか、カメラが向けられないのです、ここでは。

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いまハヤリだそうな、こんなパワースポットが。ほかにもう一か所、こんなふうに両手をかざせば、チカラをいただけるとか。ただし、掌を石(岩)に向けるのではなく、自分のほうに向けるのが正解だとか。石に掌を向けると、いやいやー、と腕を伸ばして受け取り拒否の恰好になってしまうんだ……

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正宮とは川をはさんで別宮が三つあるけど、こんな階段をのぼったりおりたり。
楽チンをきめこむには、この下に「別宮遥拝所」があり、足弱をかばってくれます。

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風宮。元寇の役で神風を吹かせて日本を守った風の神をまつっています。

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多賀宮。豊受大神の荒魂をまつっています。

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そして、別宮最後の土宮。この外宮の宮域の地主神です。

ほかにも建造物、ゆかりの施設、とりわけ遷宮のために設けられる古殿地などみどころ満載です。ですから、くどくならないようなチョイスをしなければなりません。

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