自転車日本一周

知床自然センター 自然散策 北海道・道東をツアーで再訪2-3

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再び知床峠の峠口そばに戻ります。

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知床自然センターで、これからの知床の森ウォークの事前説明を聞きます。

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「フレペの滝 遊歩道」=断崖と海を眺めるウォーキングコースです。

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知床自然遺産は動植物の共棲する生態系を評価されている世界遺産です。遊歩道はあくまで自然優先にのっとって整備されています。それにちなんで、ツアーの皆さんそれぞれが行儀よく歩いてゆきます。

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わたしらのツアーにはふたりの自然ガイドさんがついてくれました。私のグループのガイドさんは実に気持ちのいい青年で、思いやり深く優しく勘所をよくガイドしてくれました。ちなみに、ここではガイドさんの後ろの立ち木を保護している網についておしえてくれました。エゾ鹿が食べるものがなくて(とくに真冬の積雪時)樹木の皮をはいで食べるので、立枯れてしまう。その対策、とのこと。積雪の高さよりも高く何重にも丈夫な網がまかれていました。

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やがて、林と森を抜けて草原に出ました。

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ガイドさんが遊歩道にクマの糞を見つけました。熊はこの一帯に棲息しています。でも、めったなことではツアー中に遭遇することはないそうです。熊の出没情報はセンターで掌握しています。出没はきちんと確認されています……クマに逢ってみたいような、それも怖いような──勝手です、わたしらは。

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エゾシカの食性によって、ゆたかな知床の植生も大幅にかわっているのが、ここの草でわかります。エゾシカが食べない草だけが繁茂するんだそうです。

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オホーツク海岸に到着です。

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さきほど知床半島遊覧船からながめたばかりの「フレペの滝」を見下ろせる地点に到着です。圧倒的な質感と雄大な景色に言葉を失いました。
写真の真中右寄りの滝はちょっと見ずらいのは、カメラマンの未熟ゆえです。勘弁してください。

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つい手の届く近さ。エゾシカの食事中。お邪魔したかな? ごめんなさい、ね。

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草原エリアから森林エリアに戻る途中、木立の奥に母子のエゾシカを見つけました。一同、歓声をあげました。ガイドさんも、「この季節の母子連れはめずらしい、小鹿(バンビみたい)は警戒して姿をみるのはまれなことです」と。

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あらためて自然センターで、ウォーキングコースのパネルを見て、そこに貼られているカレンダーの熊出没(遊歩道への)情報におどろきました。

知床自然センターは、知床の大自然を楽しむための情報センター。知床財団の運営です。

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知床峠から降りました。「さいはて市場」=北海道さいはてにある市場です。海産物と軽食、そしてお土産を物色です──女性のたのしみです、な。

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わたしは8年前の訪問の思い出に慕って、「知床キャンプ場」案内小屋へ。無人でした。どうも閉鎖されているみたい……。

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アメリカの青年がローラーボードでやってきました。どこからかはききませんでしたが、これから知床峠をローラーボードで越えるんですって。
「ほんとかいな、あきれたナァー、もう」です。四国遍路を同じスタイルで巡っている人に会ってびっくりしたこともある──考えてみたら、66にもなってチャリンコで峠越えをしたひともいるのですから、そんなに驚嘆することもないけど……だれのことかっって? それはわたしなんです、よ。

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オシンコシンの滝を素通りし、三段の滝を見て、知床国道から斜里、そして屈斜路湖畔までのロングラン──バスです、車中はみなさんぐっすりの居眠りです。

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屈斜路湖畔に到着です。屈斜路湖に棲んでいるという姿が見られない「クッシー」君が出迎えです。
今夜の宿泊ホテルは、屈斜路湖一望のロケーションです。

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知床半島遊覧船乗船 北海道・道東をツアーで再訪2-2

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知床半島の地図。知床岬をウトロ港から岬の突端までの半周を往復で、大型船で海岸線を巡行します。
曰く「山の中腹から上だけが、海から顔を出すような地形になっている半島の海岸線には険しい断崖が続いています。その絶景をたのしめる……〔観光船〕です」。

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「おーろら2号」は定員400名。3階の船室と2層の展望デッキをそなえています。冬には網走で流氷観光砕氷船になります。

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出港です。長い期間待ち望んでいた知床を海からながめられます。うれしい!

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港を出てすぐに飛び込んできたのが、知床峠への道。ここから8年前に、えっちらおっちら自転車をこいで峠を越えたのでした。えらいなあと思う反面、よくもまあやったもんだ、こんなむちゃなことを、と。……でも、もうできないな、残念だけど。

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朝一番で眼下に見たプユニ岬を海から眺めるのは、なかなかいいもんだ。

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いよいよ、です、半島めぐりは。次々に展開される景色を撮影することで手一杯、そのいちをメモすることができません。

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海岸線が激しく波で侵食されて、こんな穴もところどころにあいています。黄色っぽいところは、この岬が約2万年前からの火山活動でできていますから噴火による硫黄分の流出の痕跡。

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目の前の海岸線のくぼみにあるフレペの滝。午後の散策で、このすぐ上まで歩いて行きます。

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象の姿に似ているので、名付けて「象岩」。
……続々と奇岩や光景、風景などが、どしゃぶりの雨のようにたちあらわれます。コメントを省いて写真をならべます。

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ちょっと説明を……真ん中の縦に細長い岩が頭をかしげている「コケシ岩」。

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火山噴火の溶岩が独特の形をうむ柱状節理が、隆起によってこんな形もつくっています。

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これぞ絶景。非の打ちどころがありません。ねがわくばデジカメ(CanonIXY)ではなく、でかいカメラで撮りたかった……持ってこなかったのは、無念の極みでした!

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知床岬は山だらけ、連山から海へ流れる水・川は多くの滝を現出しています。

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デジカメでおもいっきり引っ張って海岸の番屋を写しました。ここで寝泊まりして、鮭の漁場づくりなどを行わうそうです。

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「熊がいる!」と超望遠レンズをかまえていた人が叫びました。覗かせてもらいました。たしかにいました。ゆっくりのそのそあるいているのが手に取るようにみえました。私のデジカメでは、こんな程度です。かろうじてあのあたりで、でしかありません。あとできいたら、合計で4頭の熊をとらえたとのこと。ヒグマです。

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「知床半島に来られるようになって本当に し・あ・わ・せ」カミさんがしみじみとなみだごえで感動の言葉をつぶやきました。まさしく健康なればこそです。

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知床岬の突端です。陸からは許可を受けなければ誰も行けません。
それでいいです、なんでもかんでもどこへでも行ける必要はちーっともありません。

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Uターンです。心にふかく、よくきざんでおきましょう、この場面を。

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屏風のような……あちこちの屏風岩にも遜色ありません。

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まもなくウトロ港に帰港です。

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ウトロ港で「ゴジラ岩」が出迎えてくれました。

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知床五湖木道と展望台 北海道・道東をツアーで再訪2-1

知床のホテルを出発、今日は「知床堪能」の一日です。三度めの知床訪問でやっと実現できます。うれしいな、デス。

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眼下にウトロ港(知床観光船の母港)を見ながら知床峠の道をのぼります。この道を自転車でのぼり、峠越えを果したのが8年前、78歳。「よくもまー、こんなとこまで来たもんだ!」と自分をほめてのひとことをつぶやく。「ほんと、バッカみたいですよ」ってカミさんはつめたい反応……困ったひとだ、ほめてくれればいいのに……。

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峠のとっかかりの真下のプユニ岬ちかく。鮭の遡上、捕獲、加工(孵化も?)の施設が目にはいりました。例年ここを目指してバイトに来て、その後に北海道を旅する人たちがおとずれるようです。

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昨年4月29日ここへ来た時には、暴風雪にみまわれた悪天候。ウェットスーツでガチガチに固めましたが、五湖めぐりは自己責任ということで、一湖の展望台までで引き返す約束で涙をのみました。
でもって、今回はそのリベンジを果しにきたわけです。

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今日は快晴、知床五湖の内、木道が敷設されている三湖の展望台まで歩きの往復です。まずは林を抜けます。

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林から熊笹が生い茂る荒野の木道を行きます。

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知床連山が、雲一つない真っ青な空にはえて、きれい、キレイです。

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クマが木道に登れないようにすべて、地面より高く設置されています。そして、木道には感電用の電線をはりとおし、通電されています。

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くねくねまがったり、のぼったりおりたりですが、しっかりした木組みの道なので、あるいていてここちよいウォーキングがたのしめます。

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こんな展望台からの一湖の眺望は天下一すばらしい──

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知床二湖展望台からの眺望も、これまたとっても──    ──ことばが出てきません。

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とりあえず木道の終点です。きびしく管理されているのは、この先の知床ガイドツアー縦走路のためです。事前登録とガイド同行がなければ歩けません。なにせ知床は世界自然遺産だし、熊などとの共生が最優先されていますので。

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知床三湖展望台からは、知床連山をバックに知床三湖が目に入りました。逆行気味がただ一つの不満ですが、わたしはこれを見たくて、北海道に3度も4度も来ているのです、大大特別満足です。時間が許すなら、ボケーっと3時間ぐらいこの場に立ち尽くしていたい──

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木道最終地点の展望台ですから、この木碑を写し込んで記念写真を撮ろうとつぎからつぎへと人が立ちならびます。

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カミさんも往復ともゆっくりゆっくりで歩きとおしました。日ごろの回復に向けてのリハビリへの取り組み、食養生、処方通りの投薬などをこころがけ、とにかくきちんとした生活を続けてきた結果、それが実を結んでこうして歩きとおせたのです。

知床五湖フィールドハウスで知床を学習しながら一息入れました。

5年前に倒れて以来の快挙になりました。一時はどうなるんだろう、とおもったこともありましたが、多くの人々の応援、手助けがありました。ありがとうございました、とお礼を申し上げます。

さあ、つぎは知床半島観光船に乗船です。

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釧路空港→裏摩周湖→神の子池→斜里→知床 北海道・道東をツアーで再訪1-2

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あの懐かしい知床連山を眺めながら、バスは斜里を目指して走ります。
最近のツアーは目的地に着くなり、バスでポイントをつないでゆくことが多くなりました。道路がよくなっていることもあって、効率よく動き回ります。かなりの距離を消化します。ちなみに今日は210キロ走行とか。

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今回のツアーの宿泊は、すべてプリンス〇〇ホテルの西武グループで今夜は知床プリンスホテルに投宿です。夕食はバイキング形式です。腹いっぱい食えますので、大歓迎のはずが、寄る年波で目がほしがるほどには食えませんでした。

荷物をホテルに置いてあわただしく外出です。言ってみれば、8年前の8月21日にここに着いてからの行動の再現です。

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知床夕陽台。「夕陽のあたる家」は宿泊施設だが、私には無縁の場所。

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銭湯「夕陽台の湯」。温泉です。

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なんと。管理人さんご夫婦は健在。一声かけて、ちょっと記念写真をとらせていただきました。その節は携帯電話に充電させていただいたり、夕陽台の近所のことをいろいろ教えていただきました。その感謝を申し述べました。

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「国設知床野営場」。有名なキャンプ場です。

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キャンプにはなんの変化もありませんでした。施設に変わったことがありませんが、わたしがここに野営した時にくらべると、キャンプテントやキャンピングカー、それにコテージ利用者は格段にふえているようです。

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埼玉県から自家用車で車中泊したり、こうしてテントを張ったりして、北海道の旅をたのしんでいらっしゃるご夫婦も。

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ここが、私がテントを張った場所。夕陽台の湯でひとっ風呂あびてテントにもどったら、エゾシカが4~5頭テントを取り囲むようにして眠っていました。野営場管理人さんがいうには、「このキャンプ場は周りをクマよけの柵で守っているので、エゾシカは安心して夜になると泊りに来ます」とおしえられたっけ……。

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この方は、たしかイギリスからユーラシア大陸を横断して、シンガポール経由で日本に上陸し、日本一周中の26歳のチャリダー。つたない会話力しか持ち合わせない自分がうらめしかった、デス。日本の後は、オーストラリア、南アメリカ、北アメリカ……と世界一周の予定と聞きました。私にはウラヤマシイけど、やろうと思ってももはやできない相談になっちまったんですね、考えてみるまでもなく!

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コテージには、利用者の姿がありません。さみしい気がします。

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夕陽台へ向かうキャンプ場のみち。大阪から、自家用車バンを改良して完全車中泊で日本一周の御夫婦に会いました。「ふだんは喧嘩ばっかりなのに、この旅のあいだはいちども言い争いはしていませんです」と、奥さんがおっしゃっていた。旅は、夫婦仲をよくするもんなんですね、ウチはどうやら別らしい……

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しずむ夕日。言葉がでてきません。
このぶんなら、明日の知床は上々天気でしょう、たのしみです。

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日本一周用自転車……三種

日本一周継続のための自転車をどれにしようかな……

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東京→房総半島→東北北上→北海道一周→日本海側北陸南下 に乗車した『グレートジャーニー2』、マウンテンバイクです。前3段、うしろ7段の優れもの。
フロントとリアに、それぞれキャリーバッグをふたつずつ取り付けられます。積載荷物量は抜群ですが、惜しむらくはブレーキが甘いこと、ドロップハンドルであること。
ハンドルに専用バッグ、フロントタイヤ上に荷台も設けることもできます。
この先、ロングランの可能性はありませんから、どう乗り回したらいいのかしら……。

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富山県で現地調達した、GIANTの26インチ車。前ギヤー3段、うしろ7段の速度切り替え。車輪を大きくしたのと、ハンドルに前カゴを取り付けたのは、後輪左右の荷台にキャリアバッグをくっつけるだけにして、荷物の総量を減らすための工夫です。ママチャリの「荷物いっぱい」仕様車、と位置づけています。
都内で身体慣らしや、ちょっとしたお出かけに重宝して乗り回しています。

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新しく購入した、20インチ折りたたみ車「ダホン」です。輪行バッグに折りたたんで収めて、列車やバスに乗車できます(12キロ余の重量で、若干重いが、肩に担ぎます)。ちょこちょこっと出かけるのには便利です。
ハンドルにおおきなバッグを取り付けています。走行用品はすべてこの中に入れらます。
後輪の上の荷台は35×45センチの板を加工して床面積を広げ、写真では42リッターのザックを載せていますが、じっさいにはグレートジャーニー2 用のキャリーバッグを縛り付けます(キャンプ・野営・野宿のテントをはこびます)。
車輪がちいさいから、走行の安定性にすこし危惧をおぼえます。それに、時速15キロくらいのスピードだと安心して走れますが、それ以上の速度だと注意が必要になります。下りの坂道は、ブレーキをかけっぱなしになるし……。

*あえてスポーツ車は避けています。
 スピードを愉しむつもりもありませんし、競争する気持ちも持ちません。それに、いかにも「走ってます」ってんで、ナリ・カッコウをととのえるのは、わたしの性分に合いません。

*そうそう、忘れてました、現地調達の自転車を。
昨年5~6月にかけてはしった、東海道と山陽道は、三島市のホームセンターで買い求めたフロント1段、リア7段の、いわゆるママチャリでした。走りごこちは抜群でした。東京の自宅へ戻る際に、この自転車を宅急便で送ろうとしましたが、料金が引っ越し荷物の扱いで、自転車本体の価格よりも高かったので、岩国の宅急便受付のおばちゃんにあげてしまいました。

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10.9/6 小浜→国道27号線丹後街道→若狭高浜→舞鶴→丹後由良→宮津→天橋立

のどの渇きを癒すのに、スポーツ飲料を飲み過ぎたようで、夜中に三度、昼間二度の下痢に悩まされました。

7時に宿を出ました。いよいよ本格的に山陰路を行くことになります。

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国道27号線はしばらく若狭湾べりを走ります。若狭湾越しの中央に若狭富士がそびえています。

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JR小浜線若狭本郷駅は、明治の駅舎と蒸気機関車の弁慶号を再現し、さながらテーマパークのようでした。

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道の駅「シーサイド高浜」はステキな道の駅です。24時間開放の休憩室があり、駐車場は大型車用と小型車用の駐車位置を離れた場所に設けています。そして、温泉が併設されています。そうです、寝泊まりするのに最適な道の駅なのです。

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出発してからこれまで7つのトンネルを通過しました。8つ目のこのトンネルが、福井県から京都府にはいる吉坂峠のトンネルです。さいわい、すべてのトンネルは、入り口までがだらだらの長ーい登りですが、トンネルに入ると途端に長ーい下りになりました。トンネルですから「キャッホー」とばかりによろこんでノンペダリングとは行きませんでした。

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舞鶴では二つの施設に目を奪われました。この煉瓦倉庫群と……

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海上自衛隊の艦船の停泊でした。国道から目と鼻の先です。まさしく軍港の様相を呈しています。横須賀港ではこんなに近くではなかった。

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天橋立に着いたのは16時でした。約85キロの道のりでした。知恩院にまず参拝して、天橋立松並木を走り抜けます。

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往復4キロ余の、そうだなぁ五〇メートルほどの海嘴の砂州の両側に松並木が延々と連なっています。向かいの岸から少し小高い山に登れば、例のまたのぞき(股覗き)の逆さ橋立が見えます。リフトは終了して、ケーブルカーのみ運行、登って見学し降りてきたらどう見積もっても一時間半~二時間は必要。まだ宿を確保していないので、これで良しとして戻りました。

*DOCOMOの電波状況がよろしくない。やり直しが何度も続くので、今日の更新はくだくだしく書くことが出来ない。これがやっと……。

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台風9号襲来で福井県小浜市塩釜のきざき旅館に連泊

台風9号が日本海を九州沖から北上し、今夜半ここ若狭湾敦賀市付近から本州に上陸しました。激しい雨音で何度か目をさましましたが、起床した6時には台風はすでに通過したばかりでした。台風の余波で強風が吹き荒れていました。

天の配剤と受け止めました。再出発から一週間が経過、疲れがたまっていました。ゆっくりやすむのに好都合です。連泊して、本日は休息日に当てます。基本は寝ることです。

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昨日、急な泊まり客である私のために用意してくれたのが、二階の3部屋ぶち抜きの写真の大広間、そのうちの上座にあたる15畳和室デス。ゴウ天井、一間半床の間つきの豪華な部屋です。マンションのチマチマした合理性優先なところで寝ていますので、余りの違いにお化けでも出ないかと心配するくらい。

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旅館に珍しいものがありました。黒いダイヤル電話機、ピンクの公衆電話、いえいえ、もっと珍しいのがまんなかにある青いボックス。なんだかわかるかしら? 100円の10円玉両替機でした。

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朝食の後、空模様をきにしながらも小浜市内の散策に出ました。きざき旅館の玄関デス。玄関先の幾松の案内板、木戸松子=幾松の史料を女将からいただきましたので、すこし抜粋します──『松子は1843年天保14年、小浜市木崎で小浜藩士の家に生まれ、計(かず)と命名。やがて幼い計母子をのこして父は藩内の事件から出奔(その後死亡)、母は京都で再婚し、計は9歳で舞妓に。公家筋の養女になるも、その養父から芸妓に出され14歳で2代目幾松を襲名。やがて19歳で桂小五郎に出会う。伊藤博文の支援で桂は幾松を身請けしました。10歳のトシの差。幕末の桂小五郎の数々のくるしい活動をたすける。明治維新後、桂は木戸孝允と改名し、明治政府参議などの要職を歴任、進歩派の中心として版籍奉還・廃藩置県に尽力しました。一方、幾松は山口藩士岡部富太郎の養女となり松子と改名、正式に孝允の妻となりました。孝允は明治10年死亡、松子は尼僧となり同19年43歳の生涯を閉じました』

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小浜湾は台風の影響で、海面が荒れていました。重い雲がたれ込めています。強い風はなま暖かくしめっていて、吹きさらされたカラダはすぐにべとつきました。

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いずみ町商店街の魚屋の店先、小浜名物「焼きサバ」。

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やはりNHK朝の連ドラ「ちちとてちん」はたいしたものです。この若狭屋はちりとてちんを商品化した関連物産の販売所。I love OBAMA を全面に、あのオバマ大統領人形も塗り箸と並んでいました。近くには寄席亭も新設されています。

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「解体新書=ターヘルアナトミア」の杉田玄白は、ここ小浜の出身ということで、蘭学医書(?)を手にした銅像が立っています。その背後に見えるのは「杉田玄白記念 公立小浜病院」──総合病院です。「ウン? 公立とはききなれぬがサテ?」病院の受付で聞きました。「小浜市立ではありません。小浜市近隣市町村が共同出資・運営している病院です」。ご多分にもれず赤字で経営が困難だろうな、とは思いましたが、まさかそこまで聞くわけにはいきますまい……。

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「山川登美子記念館」がありました。山川登美子ときいてすぐわかる人は、短歌をたしなむひと、あるいはかつてかなりの文学青年だったひとでしょう。かなりマイナーな歌人です。記念館(観覧料300円)パンフレットによると──『山川登美子は、明治12年(1879)、小浜市千種で生まれ、幼少期を小浜で過ごしました。/梅花女学校の研究生になった頃から、「明星」の社友となり、与謝野鉄幹・鳳晶子らと知り合い、その後結婚を機に一時歌壇をはなれ、夫に先立たれ、日本女子大学で学びながら数々の歌を生み出しました。しかし、病を得て小浜に戻り、明治42年に30歳で、この家でなくなりました。/山川登美子の生家が平成17年に、翌18年登美子の遺品が小浜市に寄付されたことから、19ねん4月に山川登美子記念館として開館しました。生前の遺品、歌稿が展示されています。』

特別企画展「一人は在りて一人天翔ける─鉄幹、晶子、そして登美子─」が開催されていました。

わが為めに 路ぎよめせし 二少女 一人は在りて 一人天翔ける(鉄幹)

それとなく 紅き花みな友にゆずり そむきて泣きて 忘れ草つむ(登美子)

晶子とともに鉄幹に師事していた登美子が、父の勧める結婚により、ふたりと離別するときにうたったのが「それとなく……」です。わかりますよね、登美子のいうにいえない、くるしみ、くやしさを。「明星」「スバル」などが展示されていました。ブログの回顧でもうちょっと、掘り下げて見ることにしますので、今回はざっとしたところのみ。

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昨年が登美子没後100年目、それをゆかりとして記念館入り口前にたてられました歌碑です。

とやこうして、小浜市内散策を終えました。雨は時折はげしく降ります。風はだんだんおとろえてきました。

前の旅では宮城地震に遭い、こんどは台風に遭いました。でもこの台風、敦賀湾から、岐阜、長野飯田(カミさんの故郷)、そしてどうやら東京方面へ向かっています。だれやらさんのように、台風に託して、私の物思いをはこんで行ってもらいましょうか。

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10.9/7(火) 敦賀→美浜→丹後街道・若狭路→若狭→小浜

いつものように5路起床。ウン……? スッキリしない寝覚め。だる重い。これは、疲労が蓄積したときに出るいつもの症状。今日の行動は慎重にした方がいい、そのシグナルだ、きっと。

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朝食をいただいて7時40分、宿を出る。玄関先で、東京多摩ナンバーのオートバイのお兄さんに声をかけられる。「昨夜、荷物をつけたままでここに駐輪していたでしょう」と。「盗られたらそれまでのこと」と返事しました。彼は能登半島を一周しての帰り、明日出勤しなければならないので、今日中に帰京するとのことでした。調布の人でした。

宿を出て、すぐ近くの「気比神社」に旅の息災を願って参拝しました。なんでもこの木製の大鳥居は、安芸の宮島とどこか(忘れた)の鳥居で、日本三大鳥居の一つだそうだ。朝が早いので逆光で見づらいな。

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敦賀からの国道27号線は、若狭湾までの山越えはバイパスが造られています。いい気分で走れます。側道もあるし。いい気分でペダリングしていたら……

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旗護山をつらぬくトンネルに入る直前、こんな立て看板が。オイオイ、もっと前から、この先のトンネルは自転車・歩行者は通れませんよ、と案内すべき出はないかしら、ねエー(とここは語尾をはねあげると、この辺りのイントネーションになります)。

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なんのことはない、バイパスが出来る前の旧国道27号線は、現県道225号線になっているので、こちらを通って峠越えをしなければなりません。長ーいダラダラのぼって、やっとこさたどりついた関峠のてっぺんで美浜町に入ります。クルマの往来は閑散を極めているといったら怒られるかな。

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汗ダラダラ、呼吸ゼーゼー、とやっと峠に登ったら、例によって「キャッホー」の、ノンペダリングの慰労です。そしてふたたび27号線に吸収されます。美浜駅で一休み。

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丹後街道、通称若狭路を進み、若狭町に入る前に、「三方五湖」を遠望しました、木の間がくれにチラッと見えただけですけど。

もう一つ峠越えがあります。倉見峠です。これはきつかった! 最前の関峠よりも、なまじ国道をあたらしく整備したためか、勾配のゆるい長ーい坂道が、文字通りえんえんと続くのです。今朝方の、起き抜けの不調感がぶりかえしてきました。

ここもどうにかこうにか(といっても、まえに進むにはぜったいにクリアしなければならないのですが)、峠を越えて小浜直近の上中(かみなか)に着きました。遅い昼食をとりつつ休憩することにしました。ちょこっと高めの海鮮料理を取りました。そして、ご多分にもれず、つめたい氷水をがぶ飲みデス。注文の品が届くまで、いったい何杯のんだかな。のむほどに、あびるほどになるにつれ、ノドのかわきは「もっともっと」と催促するばかり。──海鮮料理はさほどでもなかった。格別の刺身もついていなかった。いっそ、焼きサバをちゅうもんすればよかった。──腹もでき、ノドもおとなしくなったら、もう今日は動きを止めた方がいいよ、とのささやき声が聞こえてきました。

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JR小浜駅の観光案内所で宿泊施設を紹介してもらいました。3年前のNHKの朝ドラ「とてちりてん」のヒロインの出身地ということでのにぎわいもすでにだいぶ薄れてきたそうです。ローソク屋さんも旧にふくしてしまった、とも。

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紹介されたのが日観連加盟のきざき旅館。ふるい町並みの一角にあります。外見ではわかりにくいですが、玄関を入ると、いかにも古い格式と伝統をそなえた旅館です。木崎藤兵衛家第18代当主の経営です。そして……

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この木崎家は、あの幾松の生誕地ですって。写真は玄関横に設置されている案内板です。いまNHK大河ドラマ「龍馬伝」でもっともホットな薩長同盟。その長州側の旗頭、桂小五郎─のちの木戸孝允の妻が幾松デス。木戸松子なるひとです。

わたしは、ただ観光案内所のすすめるままにきざき旅館に投宿したのですが、こういうことってあるんですね。案内所の方はこのことをなにも言いませんでした。また、この写真のガイド板も、昨日や今日のブームであわてて設置されたものではないそうです。郷里のひとびとに深く愛されているから、町のひとたちこぞってが幾松さんを尊崇しているんですって。

サテ、あさがたの不快は、やはり疲労がたまっていたため。早めに動くのをやめるのもユウキがいることです。そうみずからにいいきかせて、早めにペダルを停めた次第デス。

台風9号の行方が気になります。どうなることやら……。なんでもありです、旅は。

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福井駅→鯖江→越前市→武生→越前海岸しおかぜライン→敦賀駅

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福井平野はたわわにみのっています。わたしの最も好きな光景。見逃しません。

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国道8号線を進んでいると、前から一目で長距離旅行者の風体の人が。聞けば4月1日に福島県白河市から「日本一周走り旅」を続けている薄葉正雄さん60歳。還暦記念行事とのこと。すでに福島から南下して北海道一周、列島南下、九州から沖縄、そしてふたたび列島北上、四国も経由し、もっか郷里へ戻りつつあるところです。ほぼ宿泊施設利用(なんでもクルマ一台買えるくらいの費用をつかっているそうだ)。ブログ「走り旅と山男」をもっていますので、興味のある方はご覧ください。お互いの健闘を誓って、固く握手しました。いるんですねえ、こういうひとが。あなたもやってみようと思いますか?といいたい衝動……。あっ、忘れました、走り旅は最初のうちだけだったと言ってらっしゃった。

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昨日近くで見られなかった稲刈り作業をすぐそばで見させていただきました。コンバインって言うのですか、この機械は?

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福井県の武生は、わが母方の曾祖父夫婦の出身地だと聞いています。聞いているのはただそれだけ。横井姓でした。武生の雰囲気だけでも知っておきたくて、まずJR武生駅にきてタクシー運転手さん達に武生はどんなところ? とたずねたがなんにもつかめなかった。聞き方がわるいんでしょうな。収穫は望むべくもなかった。

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武生駅に立ち寄るために、国道8号線をはずれましたが、ふたたびあの喧噪の酷道に戻るよりは、ローカル県道をはしることにしました。狭い道が続きます。日本海の越前海岸に向かう道でもあります。いずれ、旧国道8号線そして現国道8号線合流するはずです。マイウェイ、ワレヒトリ行く道でした。追い抜くのはむろんすれ違う車両もほとんどありませんでした。

Ja

間もなく正午です。今日も猛暑です。昨夜見たニュースでは、私のすすんでいる地帯は、列島で日々最高気温を記録しています。「よりによって暑い方へ、暑いほうへ、なにを好きこのんで行くのかね?」とカゲの声が聞こえています。あまりに暑いので、山越えの最後のてっぺん間近に「JA越前たけふ」の店なのか事務所なのかわからないが、とにかく涼しそうなので「休ませてください」と飛び込みました。熱中症でぶっ倒れるよりは、恥をしのんだほうがベターと思ったのです。真ん中が所長の帰山(かえりやま)さん、右に野口さん、そして女性が笹木さんです。おかげさまで吹き出す汗が収まりました。ありがとうございました。

所長が教えてくれました。武生で横井姓は国道8号線沿いの吉野地区に並んで集中していますよ、ほかの場所に横井を名乗っている人はいません、と。そうなんですか、ありがたい情報でした。

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山が深いんですねえ。びっくりしました。青森の恐山の時も、北海道知床峠越えの時も、「熊に注意」をなんども見ましたが、サテどのように注意するのかいっこうにわからない。注意しても出るものは出るし。

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県道19号、そして206号の甲楽城勝蓮花線を通り、峠越えとトンネル通過を果たしてたどり着いた越前海岸を目にした瞬間、言いしれぬ感動を得ました。苦労した分、得られるものは大きいです。旧の国道8号線だったこの道は今「しおかぜライン」と呼称されています。

ただ、向かい風がやたらに強かったので、これにはマイッタ。漕いでも漕いでも自転車は時速10キロ以上が出ない!

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写真は、福井県立サイクリング部の四人衆です。福井市内を出るときから後になり先になりして、ここ8号線と合流地点で3度目の巡り会いでした。部活です。軽装備が気になるので聞いたら「マンキツでとまる」という。ハテ面妖な……。そうか、漫画喫茶で夜をすごすという事なんだ、合点しました。

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とやこうして、敦賀駅に着いたのが、17時過ぎでした。昨日の走行に比べて、今日は答えました。老体6日目、そろそろ疲れがたまったかも……デス。宿は3日つづけてあの東横インです。昨日は日曜で30%引き、今日は月曜65歳以上割で20%オフなんですもの、からだにはこの手をつかったほうがよろしい。そう言えば、金沢兼六園で私の顔を見るなり「無料ですよ」と言われたもんです、金沢城でもそうだった。けっこう日本では、年寄りをいたわっているんでしたっけ?

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10.9/5(日) 金沢→白山市→小松市→加賀市→福井県入り→あわら市→福井駅

こたびの旅に出てから5日目、いろいろ不都合が出てくる頃ですから自重して、今日は移動、洗濯、充電日にすることにしました。

東横イン金沢東を、朝食サービス(和洋の軽食バイキング)をしっかり食べて8時前に出発。すっかり日焼けしてむき出しの腕と顔(特に端正な面立ちなモノで鼻の頭)がピリピリと痛い。また、自転車のサドルになれていないので、これまたアリノトワタリあたりが微妙にイタイ。

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国道8号線は、片側1~3車線、所によって変わります。その都度、自転車の走れるような側道が付いていたりなかったり。カンカン照りで、容赦なく体力を奪われそう。この国道はバイパスや跨道橋が、ずいぶん親切に整備されています、驚きました。クルマは信号に停められることなく、目的地までノンストップで行けるのではないかしら。たいしたもんです。その代わり、自転車にとっては、ちいさなアップダウンが年がらねんじゅう繰り返さなければならない酷道になっています。

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金沢市を出はずれた手取川では釣り人が長い竿を振っていました。鮎なのかしら、釣りには疎いので様子のいい場面だけを撮して置いた。

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地図には載っていない道の駅がありました。なるほど出来たばかりの木の香がただようような活気のある駅でした。駅長さんに、私のこれからのコースをおたずねしました。いいアドバイスをいただきました。冷たい飲料水も、1リッター+0.5リッターペットボトル2本分いただきました。

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昼近くになり、腹ごしらえと休息にローソンに立ち寄りました。時刻のせいか、この建物のまわりには日陰というモノがない、店内で飲食できるスペースがない。あきらめて外に出ると、若い女性が「写真とらせていただいていいですか?」と。自転車に取り付けてある日本一周中のプレートを入れて、私といっしょにハイポーズでした。そして、シャッターを押したお連れの女性も「いいですか?」「ええ、どうぞどうぞ」……きけば親娘なんですって、びっくりしました。母上が(どっちかわりますよネ)なみさん38歳、娘さんがさよさん18歳。おふたりの若さあふれるパワーをいただいた思いです。ブログ掲載の了解はいただきました。──なみさん、さよさん、どうもありがとう、でした。おげんきで。

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石川県・福井県の県境は牛の谷峠。気温35℃、登り勾配8%の私の最も嫌いな長ーい登り、ダラダラ連続、いいかげんカンベンしてよ、でした。のぼりきったら、きのうとおなじで「キャッホー、行くぞ!」と下りを楽しみました。そうですよ、苦労の後にはかならず楽しみがあるモノなのです。69歳が経験則でいうのですから、まちがいはありません。

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川幅のうーんと広い九頭竜川を渡ると福井市に入ります。スピードメーターはまもなく(金沢から)80キロであることを示しています。ここでも釣り人があちこちに。とおくの山の姿と、眼前の川、いい景色です。

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道路が上なので高見で失礼して、秋の収穫の様子を写真に収めました。ほんとはそばに行ってと思ったのですが、だいぶつかれちまったもので。豊年満作と口をついて出ました。いまどき、これも死語かな。

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福井市に入りました。先回と合わせて、私の自転車日本一周はいくつの都道県を通ったことになるのか、かぞえてみなければいけないな。

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来てビックリ、見てもびっくりです。JR福井駅、駅の裏側から正面にまわって見上げたら、金沢駅同様、まあ立派なこと。これじゃあ、富山駅はおくれてはならじと改築するのもあたりまえかも。駅舎をそんなに立派にしてどうするつもりなのかしら、素朴な疑問。

と、85.7キロ走りました。まだ宿泊施設を利用します。今日のテーマ、洗濯、充電、日焼け処置、トワタリ治療、そして「龍馬伝」を見ます。

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