墨東荒西を歩く

「墨東荒西を歩く」―小名木川と中川船番所江戸名所図絵

中川の終点に行く前に、なにやらモヤモヤしたものが胸底から浮かんできました。

そういえば……と、「江戸名所図絵」を持っているのを思い出しました。さっそく書庫を探しました。ありました。全8冊のちくま学芸文庫『江戸名所図絵』です(全7巻6分冊と江戸切絵図集と江戸名所図会事典の2冊で計8冊セット)。なにかと地元のことをたのしむのに愉快な本なので買い置いていたのです。

これからはこの「墨東荒西を歩く」が、たぶん出番が多くなるでしょう。折りにふれて活用することにします。スキャンしたり画像加工したり、各種の変換作業が必要になりますが、なーに旅に出るまでの……つなぎですから、半分はたのしみごとです。

「人類文明は例外なく川のほとりで生まれた」とどなたかおっしゃっていましたネ。

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まず、ちくま学芸文庫『江戸名所図絵6』巻之七揺光之部270ー271ページに、この図版があります。図版の手前の小名木川から左上から右へ流れているのが中川です。左ページには船番所が見えます。これによって、往時の番所の様子がだいたいわかります。興味のある方は、この図版をクリックすれば拡大した単立の図版が得られます。拡大も可能です(このブログはそのようにつくられています)。

この「中川口」の図版は、中川の説明図版です。

中川――隅田川と利根川の間にせまりて流るるゆゑに、中川の号ありといへり。荒川の分流、熊谷の辺よりはじめて、遠く……云々。

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「墨東荒西を歩く」―小名木川と中川船番所

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中川船番所わきの「かぜの公園」から中川下流にカメラを構えて、「中川船番所資料館」を収めました。

資料館でパンフレットをいただきました。内容は、中川船番所は、江東区の歴史と文化の紹介、中川番所の資料展示、江戸・東京の水上交通の歴史、江戸和竿と釣文化などが常設展示されていますし、特別展や企画展も年に数度開催されていると案内されています。

船番所の年表も併載されています。うーんと端折って関心のある部分だけを拝借します。

 (「中川船番所関係年表」より抜萃)
1590 徳川家康江戸に入る。このころ小名木川が開削される。
1654 利根川本流を銚子口に放流する土木工事が完成し、
   銚子から関宿、船堀川、小名木川、江戸湊の航路開ける。
1661 深川番所が中川口へ移転する。
1680 松尾芭蕉、深川に住む。
1791 小林一茶、行徳から江戸へ戻る際、中川番所を通る。
1869 明治政府が全国の関所廃止により中川番所も廃止。

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船番所資料館は中川に面していますが、もともとはこの写真の右手の岸にありました。小名木川の岸辺にあったわけです。

忘れていました、中川の終点、すなわち現在の荒川の閘門に行きます……。

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「墨東荒西を歩く」―小名木川と中川船番所

中川の河川敷はだいぶ整備されてきました。けっこう中高年のウオーキングやお犬様の散歩コースに利用されています。朝夕に定期的に行き交う人々は、それなりの知り合いになって、気楽に声を掛け合っています。

写真では避けましたが、いくつかの橋の下には小じゃれたたたずまいのブルーハウスも建っています。

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ここの河川敷では有志のみなさんによるお花畑が、季節ごとにきれいな花壇になります。

が、そのいっぽう困るのがネコと鳩への餌づけです。近隣のマンションや集合住宅では、鳩の糞害とネコの求愛の鳴き声に悩まされることがしばしばです。お犬様の用便不始末もヒンシュクを買います。

たまたま撮影中のこの写真は、鳩ではなくカモメへの餌ヤリでした。鳩たちはあつまっていませんでした。カモメ、シロサギ、アオサギ、カルガモがいつも水面に見かけられます。渡りの季節にはさまざまな鳥が羽をやすめる光景を目にします。不思議なことにすぐ向こうの荒川では、鳥たちは上空を通り過ぎるだけです。たぶん、荒川は通過のポイント、中川が休憩地なのでしょう。

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昨日(3月1日)、東京スカイツリーはとうとう600メートルを超えました。世界一高い電波塔になりました。634メートルまで成長します。

スカイツリーを苦労して取り込んで撮影した左手の建物は「江東区中川船番所資料館」。

資料館の案内パンフレットから――「中川船番所略史/江東区大島9丁目1番地は、『江戸名所図絵』や各種の江戸図から、中川番所跡地として推定されていました。(中略)中川番所は、寛文元年(1661)に小名木川の隅田川口にあった幕府の「深川口人改之御番所(ひとあらためごばんしょ)」が移転したものです。/番所では、小名木川のそばに番小屋が建てられ、川を通行する船を見張っていました。主に夜間の通船(つうせん)、女性の通行、武器/武具の取り締まり、船で運ばれる荷物を検査しました。/中川番所が置かれた場所は、中川と、番所の手前を流れる小名木川、そして行徳へとつながる船堀川が交差する地で、利根川や江戸川などの河川を通じて江戸と関東を結ぶ主要な場所でした。……」と紹介されています。

資料館のくわしいことは……つづく、デス。

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「墨東荒西を歩く」―小名木川と中川の合流点

小名木川は、正式には隅田川から中川を経由して、現江戸川区の新川を通り、さらに江戸川をくだって行徳へ抜けていました。別名行徳川ともいわれています(これはあまり一般的な呼称ではではありませんでしたが)。

現在の小名木川は、中川が始発点になっています。くれぐれも小名木川の上流であることをお忘れにならないでください。

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中川に架かる中川大橋からのぞむ中川上流方向です。正面の細長い建造物は「地下鉄都営新宿線・東大島駅」のホームです。知る人ぞ知るめずらしい駅です。なぜめずらしいのか、それは、すこしややこしいのですが、地下鉄のホームが地下ではなく地上にあること、そしてそのホームが川をまたいでいる橋上ホームであることです。改札口は、川の両側にそれぞれあります。約して、地下鉄のホームが川の上にある、ってことです。参考までに、向かって左が江東区、右が江戸川区になります。

いま、江戸川区と江東区の境界になっている荒川は、隅田川の氾濫・洪水対策として明治末期に計画され大正時代に完成した人工の河川です(そういえば、わたしら子ども時代には「荒川放水路」と言っていました)。ですから、小名木川はもともと現荒川の地形を横切っていたことになりますので、荒川から東京湾へ抜けていたわけではありません。

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中川大橋から中川下流をのぞみますと、中央の右手に川の流れがくぼんでいるところ、あそからが小名木川になります。正面の建物は病院ベッドの「パラマウントベッド」の本社です。突き当たりの橋は平成橋です。中川はここでオワリですが、荒川へと通じさせるために閘門(こうもん)=しゃれたつもりで「荒川ロックゲート」が設けられています。この中川と荒川とは水面の高さに格差があります。その調節のためのゲートです。あのパナマ運河やスエズ運河を思い浮かべて、この水面調節を理解してください。

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「墨東荒西を歩く」―小名木川

春めいてきました。

体調がいまだ本復しませんので、ブログを休止していました。

それでも日々の散歩を欠かさないで、なんとか体力の衰えだけは回避してきました(のつもり)。

近場の散歩をつづけていて、ふと気づきました。「この散歩をアップすれば、それなりに我が居住地の紹介になるのではないかしら」と。

いきなりとんでもないところに行かないで、とにかく現住の近場に限定して、すこしずつアップしてゆくことにします。一応、隅田川から東、荒川から西を歩きます。名付けて「墨東荒西を歩く」。隅田川の上流と荒川のそれは、岩淵水門でもと荒川から分岐していますので、東京湾にむかって地域が限定されることになります。

興がのったときには、紹介は細部にこだわるつもりです。

まずは、もっとも我が家に近い小名木川(おなぎがわ)から……

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小名木川の現在の入口です。小名木川はここ中川から隅田川までまっつぐのびています。運河です。こちらが小名木川上流といわれます。運河なのに、上流というのは不思議です。かかっている橋は「番所橋」です。

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